ただの日記 2011/7/15
今夜は長男の同級生のお通夜に行った。先日、病気のため亡くなった女の子。
斎場には、同じ小学校の保護者や子どもたちが大勢最後のお別れに来ていた。
私もメッセージを書き、遺品や写真をたくさん見せてもらった。思い出がとても多かった。
この日が来るのを覚悟して、精一杯少しずつ集めてきたのかもしれないと思った。
まだ5年生なのに…。
でも、2年生の頃からずっと病と闘ってきて、去年は少し登校する姿も見られた。
長男と同じクラスだったので、去年5月に長男が骨折したときは、2人で体育を見学。
そんな思い出もある、歌うことが大好きな少女。
病床で描いたスケッチブックを見たら、涙がこみ上げた。
小学生が描いたとは思えないほどセンスが良く、心を映すような絵だった。
最後の1枚は描きかけのまま…、残りは白紙のページが続いていた。
亡くなっているとは思えない少女の柔らかな寝顔にさよならし、
お母様に声をかけると、母は強い…気丈に振る舞い笑顔で思い出を少しだけ語ってくれた。
帰りは照国神社の六月灯から帰る家族連れやカップルの姿があった。
人それぞれ、いろんな人生のある一晩のお話。
rurinさん
昨晩は城山から照国神社の六月灯のロケハンをしていました。
上から見ると人は小さく、花火は展望台から間近で見ることができました。
別の場所では南日本新聞のカメラマンがおり、城山観光ホテルではビアガーデンの最中でした。
それぞれの沢山の人生がありますよね。
姉が今月初産なんですが大丈夫かな...。
運動不足と医師に言われ、昨日の夕方、城山の遊歩道を展望台まで歩いて往復し、そのまま照国の六月灯に行ったそうです(付添人あり)。
投稿: abc | 2011年7月16日 (土) 10:19
こんばんは☆同じ母親として涙でました。
まだ5年生なのに旅だったのですね。
ご家族やお友達、彼女をとりまくすべての方々が悲しみに包まれたのでしょうね。
早すぎる旅だち・・・でも、たくさんの方が彼女にたくさんのことを教え与えられたのではないのでしょうか。
彼女の人生、愛する人たちに見守られ、
幸せで濃く色鮮やかなものであったでしょうね。
投稿: 春のゆめいちご | 2011年7月16日 (土) 21:35
abc さま



そう言えば、お仕事は何をされてるんですか?
どこかの専属カメラマンとか?…スミマセン、よくわからなくて
お姉さんのご出産、もうすぐなんですね
出産にも人それぞれのドラマがありますよ
小さな命の誕生が待ち遠しいですね
投稿: rurin | 2011年7月16日 (土) 23:56
春の夢いちごさま
彼女は母親の腕の中で…だったそうです。
一番幸せだったかも…。
天国でもたくさん歌っていてほしいです。
あぁ、涙が止まらない…。
投稿: rurin | 2011年7月17日 (日) 00:02
rurinさん
フェニックスでこのページの存在を知っておられる方がいらっしゃるようなので内緒です。
いつかお会いしましょう。
ブログの内容から離れてしまったので真剣な話を...。
死は残された人に宿題を与えます。
私、田口先生の最後の願いと言ってもいいことを断わった男です。
今となれば体に異変を感じていたのでしょう。
それはもうタイミングが悪かったとしかいいようがなく、亡くなられてから1年は悶えました。
そしてある日、電話帳に残された先生の番号にかけてみたんです。
すると当たりまえですが、その番号は使われていませんでした。
その時に、やっと先生の死を受け入れました。
やっと番号を消すことができたんですね。
写真教室の予定表も、1枚、また1枚と処分することができました。
今、私の家に先生からいただいた写真があります。
それは大切にとっておこうと思いますが、もう1つ、生前に安くで譲っていただいた三脚があり、私には遺品のように感じます。
見るたびにつらくなり、目につかないところに置いています。
処分した方が前に進める気がします。
しかし薄情のようにも感じます。
こうやってちょっとづつ、ちょっとづつ前に進むんだと思います。
忘れることはできないけど、私はもう大丈夫って言える日が、私も、亡くなられた同級生のお母さんも、きっと言える日がくると思います。
投稿: abc | 2011年7月17日 (日) 22:24
abcさま
田口さんとの関わりがいかなるものであったにしろ、
その出会いは素晴らしいものでしたね。
前に進むためには、自分で何かを打ち破る必要があります。
三脚はまだ使える品なら、捨てずに、いつか心が晴れた時にお使いになることをお勧めします。
きっと自慢の一品になる日が来ると思います。
田口さんから頂いた写真も、大切に
そういえば、いつかフェニックスにも顔を出してみようと思います
投稿: rurin | 2011年7月18日 (月) 00:19